愛はアムリタ

昨夜、FaceBookのタイムラインに上がってたつぶやきに反応して珍しくコメントした。
亡くなったおじちゃんのこと、思い出したから。
すると今朝、夢に久しぶりにそのおじちゃんが出てきた。

 

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わたしと母と親戚がいるところに亡くなった奥さんと一緒に現れて、
おじちゃんが母達と話している時、奥さんがこっそりそばに来て
わたしにだけわかるようひとつの箱を見せてきた。

 

そこにはおじちゃんがわたしに向けて書いた手紙のような短い文章が書かれてて、
おじちゃんの想いと感謝の気持ちを告げるものだった。
わたしはそれを読んで、途端に泣き出してしまった。
内容に感激したただけじゃなく、
おじちゃんがどこかへ旅立ってしまうんだとなぜかわかったからだ。

 

母達と話し終えたおじちゃんはわたしのそばに来て、優しい顔で微笑んでた。
特別言葉を交わした感じはないけど、言葉にせずとも通じ合う。
おじちゃんは相変わらず優しくてあったかくて、観音様みたいだと思った。

 

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そういえばおじちゃん亡くなった時より若々しかったけど
奥さんも生前に比べて随分綺麗になってたの驚いたなぁ。
見た目だけじゃなくて佇まいまでもがかなり違った。
これまでも何回か夢で見たけどこんなの初めて。
もしやあれが彼女本来の姿なのかもしれん、と思ったら
生前のおじちゃんと奥さんの関係や色々、納得できる気がした。
物質や結果に本質はないんだなーとわかりやすく教わった感覚。

 

久しぶりに、夢の中で泣きながらリアルでも泣く、てやつになった。
夢の中でも大好きなおじちゃんに会えて嬉しかったな。
おじちゃんがくれた手紙は今も大切に持ってるけど、夢でも貰えると思わなかった。

 

大好きな人が生きてても死んでても、
愛しても愛されても、
その愛には永遠に生かされる気がするよ。

 

大樹の年輪のようにこの命に刻まれて
魂を廻り生かす源の一滴となって
永遠に共に在る・・・
空気とか、水とか、大地とか、星とか、
その中に宿り満ちる光の粒のようなもので
わたしの内を流れ、育み、潤す、愛という甘露(アムリタ)。

 

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*以下、コメントしたやつメモ。*

 

10年くらい前に亡くなった大好きな叔父の余命を聞いた時、
じぶんの寿命を半分分けてあげて下さい
わたしが生きるよりうんと価値がある人だから
もっと幸せになるべき人だからって
おじちゃんに生きてて欲しくて、神様に泣きながら祈ったことを思い出しました(笑)
 
今思うと、ほんとバカだなぁと思うのだけど
その瞬間の想いは自分の命以上におじちゃんの存在が大切で
どうにかして守れないか、自分に何が出来るだろうって
その時咄嗟に出た精一杯のものだったんだろうな~と思うんです。
 
それを愛というのか、ただの執着というのか、わかんないけど。
わたしは神様に誓ったり願掛けはしなかったから、
寿命を分けたいなんて祈りつつ内心じゃ自分を手放せなかったんだろうなと思う。
それでも祈ったその瞬間、祈るわたしにこそ、
慈悲や慈愛ってものが与えられていたのかもしれないなーって。
今改めてふと、思いました。
 

なにもかもを赦される時、
残るのはどれだけピュアで強い想いがそこにあったのか、って
その温もりと輝きが救いや慰めになるのかもしれない、なんて。